小室です。人一倍強い好奇心の赴くまま、クライアントの困りごとを解決するにはどうしたら良いかを相談単位で調べ続けてきた結果、多方面にたいして”いっちょかみ”しすぎて「で、小室さんって結局何屋なんですか?」とよく言われています。
もともとスペシャリストになれる集中力を持っていない血筋なので、いっそこのままWeb業界のゼネラリスト、いや”エンサイクロペディアン(百科事典みたいな人)”を目指そうかとも思ったりしていますが、それでもやっぱり「人からどういうラベルで見られているか」という”錦の御旗”って必要だなあとも思うんですよね。ブランディングの一環としても。
マーケティング戦略家もよく言うじゃないですか、「なんでもできる」は「(よくわからないから)なんにもできない」って。あれもできる、これもできる、より、「あれができる」し、これもできる、という方が結果として両取りできる、といったところですね(このあたりは浅川さんの「起業家専門」税理士、というブランディングがとても上手いし、勇気がある方だなあといつも思います)。
ごもっとも、というわけで、自分のラベリングを「ウェブ解析」と「UXデザイン」の2軸にしばらく絞り込んでみようと、前者は会社に機会をいただき、後者は自腹で学んで、実務に活かしはじめているのですが、徐々にそういう認知をいただいているのか、最近この2軸でご相談をいただくことが増えました。
で、それぞれのご相談にはもちろん真摯に向かい合うのですが、かなりのケースで「動線」をチェックして「導線」を見直せばこりゃ良くなるな、と思うことがしばしばです。このあたり、せっかくの休み(GW中)なので、自分の考え方を一度整理してみます。みなさんの参考になれば幸いです。
「動線」とは?
料理が好きな方なら知ってるかと思いますが、キッチンのなかでは料理人が無駄なく動けるように、モノや器材の配備を考えて設置する必要があります。「動線を考慮して」設置するってやつですね。
Webにおいても動線の考慮は重要、というかWebこそ動線の考慮かなーり重要で、たとえば「ECの売上があんまり良くないのでなんとかできないだろうか」というご相談をいただく際、まずはじめに私は動線をチェックします。
そしてだいたいにおいて、動線上に「つっかかり」があるんですよね。キッチンの例えで言うと、水場と冷蔵庫の間に無駄なでっぱりがあって毎回身体をひねらないと通れない場所がある、みたいな(ちなみに一般家庭のキッチンにおける動線設計には「ワークトライアングル」という考え方があるらしいです)。
「つっかかり」を改善するだけでも、動線のわるいところが減り、成果に影響がでます。
よくあるのが、F型・Z型・グーテンベルグダイアグラムのいずれも意識しないでただただ「いま打ち出したい情報」を何の気なしにレイアウトしているだけのサイトだったり、
それらは意識しているけれど、遷移を重ねていく過程が煩雑だったりノイズが多かったりした結果ユーザーに離脱されているサイトだったり、そもそもユーザーのアクションに対するレスポンスがない又は分かりづらくて諦められていたり。
リアル世界のキッチンの「つっかかり」は気づきやすいのですが、Webの「つっかかり」は、特に担当者さんやビジネスオーナーさんが真剣に自サイトを毎日見ていたりすればするほど、「慣れ」ている結果、課題に気づきづらくなってしまうんですよね。
そういう、自分で慣れてしまっているがために見落としてしまっている「つっかかり」を、ウェブ解析屋としては定量/定性の両観点から、UXデザイン屋としてはユーザー体験の観点から、洗い出して、改善策を一緒に考えて、施策実施してその結果をレビューしているわけです。
動線?導線?
ネット上で「どうせん」を調べると、「動線」と「導線」が出てきます。辞書的には同一だそうですが、業界によってどちらか一方しかつかわなかったり(ホテル業界:導線、建設業界:動線)もするようです。Web業界は字面から意味を汲み取って、2つを使い分けていますね。
- 例)動線:どう動いたか=過去
- 例)導線:(人に)どう動いてもらいたいか=未来
この例もわりと好きな使い分けですが、自分は「主体がだれか」によって使い分けています。
- 導線:「提供側が」ユーザーにどう動いてもらいたいと考えているか
- 動線:「ユーザーが」どう動きたいと思うか、動くか、動いたか
導線はサイト構築時に情報設計やワイヤーフレームの段階で考えるもの、動線はアクセスログやヒートマップなどの定量情報やユーザーテストやインタビューやエキスパートレビューなどの定性情報で分析するもの、という棲み分けです。
提供側として「こうだろう」という導線設計も、ユーザーにしてみたら、ふだんYahoo!やメルカリやツムツムで慣れているスマホ体験の延長としては、動線が「(使いづらっ…)」となっているかもしれないわけです。
導線はユーザーの動線にあわせて改善を積み重ねていく必要がある。
逆に言うと、一発で導線=動線とできるケースは、設計した方がよほどの天才か、対象ユーザーもしくは提供サービスがとてもシンプルなWebじゃないと、難しいんじゃないかなーと思います。
例えば、一人暮らしを初めてしはじめたときは、「こういうものを買ってここに置いて…」と、ワクワクしますよね?で、実際において暮らしてみると、ちょっと何かが不便、なにかが違う、と感じ、レイアウトを変えたり買い替えたりして、だんだんと住み良くなっていく感じ、覚えてませんかね。
ターゲットユーザー=ペルソナ=自分ひとり、という状況ですら、一発でうまくいかないのに、他人が対象、しかもレストランとかと違って「来訪者をそのまま目でとらえて”つっかかり”がどこかを把握できない」Webなわけですから、「改善しつづける」ことは重要なのです。
動線を評価しなおすのは「自分の背中を自分でみるような行為=つまり”自分では見れない”」ので、私たちのような第三者によるレビューは、時として有効なんだと思います。
参考:UXデザイン的に動線と導線を考えてみると?
産技大で人間中心デザインを学んだ中で、座学でいちばん「ユリーカ!」だった知識は「UXデザインは時間軸で捉える」という考え方でした。
提供側からすると、時間とコストをかけてつくったWebで成果を出したいと考えるのは自明の理で、そのためにWebに真剣に向き合います、が、真剣であるが故にユーザーが来訪してきた「瞬間(断面)」のことを「自分の目線」で考えてしまっているよう見受けます。X Japan的に表現すると、提供側は「瞬間の美学」に陥るリスクが恒常的にあります。
一方で、ユーザーからすると、自サイトへの来訪は、スマホで遊んだり調べたりぼんやり眺めたり、その延長上の接点「にすぎない」わけです。
その「にすぎない」出会いをいかにbest、いやせめてbetterな出会いにできるようにするには、ユーザーの前後関係や背景などの「文脈」を知り、その文脈に「当てにいく」必要があります。
ですので、導線=サービス提供側がユーザーにむけて「こうして欲しい」という意図は、動線=ユーザーの前後関係、指向性、文脈を知ってはじめて、汲み取れるわけです。
このあたりはもっと掘り下げて、改めて整理したいと考えていますが、ひとまずは「動線」と「導線」という考え方を知ってもらえれば、サービス改善のヒントになるのではないかと考えている次第です。
ではでは。