【番外編】eラーニングマニアが振り返る2016年の5つの潮流

かれこれ6~7年前から、eラーニングLOVEなスキモノ(以降、社畜をリスペクトして”eラン畜”)が毎年毎年集まってeラーニングについてああだこうだとディスカッションしています。

2013年にはオリンピックにからめて「スポーツ教育」、2014年にはeラン業界人ならご存知デジハリ佐藤先生を交えて「EdTech」について話しましたが、さて今年はどうしようなかと考えたところ、eラン畜も良い感じにそれぞれ異なる立場に分散した感があったので、それならば仲間同士で話しましょ、とした結果、5時間ぶっ続けでディスカッションしてました。休日に、わりとガチで。

おかげでeラーニング業界側からみた今年の教育ビジネス流れは、ナントカ大賞とかナントカアワードとか見るより、かなり浮き彫りに見えた感がありました。

その内容をeラン畜と共同で文章にまとめましたが、13,000字超えました(笑)。ということは、この記事は約33分で読めます!(1分400字換算)。なので今時間がない方は”はてブ”か”いいね”していただき、後でお読みください。

ディスカッションメンバーはこんな感じ。

  • 前川さん:企業向けeラーニングシステムベンダーの事業責任者、eラーニング好き。
  • 藤本さん:日本語教育の准教授、eラーニング好き。
  • 田口さん:資格学校のeラーニングシステム/アプリ開発担当者。eラーニング好き。
  • 支倉さん:eラーニングコンテンツ受託制作会社の代表。eラーニング好き。
  • 千葉さん:大手教育サービス提供会社の担当。eラーニング好き。
  • 小室(私):元eラーニングシステムベンダーのセールス、現Webマーケッター。eラーニング好き。
  • 某Mさん(打ち上げから)~eラーニングシステムベンダーのセールス。eラーニング好き。

ディスクレーマー。

  • 本エントリの「eラーニング」は、おもに「企業内研修」という文脈でご理解ください。文教の話は部分部分ではしてますけどね。
  • サービスの具体名出して議論してましたがあくまで外野からみた推量です。「ちょっと誤解があるから直して」等あらば、詳細お伺いした上で必要に応じて追記修正しますので小室までご連絡ください。
  • メンバー各位に校正お願いしてちょいちょい修正しましたが、一部の用語について適切な使い方を私ができていない箇所があるかもです。で、その用語は使い方が違う!とか刺す方がたまにいらっしゃいますが、すみませんそういう議論はスルーしますのであしからず。。
  • 一部、揶揄するような表現があるかもしれませんが、テキストで読んだだけだとそう伝わってしまうだけで、心象風景として起業家さんや事業担当者さんはリスペクトしています。誤認されたらそれは私の文章力に課題があるだけです、どうぞお手柔らかに。。

では一緒にディープなeラーニング業界談義に逝きましょう。

1.技術のおはなし

HTML5、ようやくeラーニングの世界に浸透しだしてきましたね。

「今更?」と思った方、両手を上に挙げてください。そして「eラーニング=企業内のシステム導入=いろんなことの積み重ねでIE7とか8とかいまだに使わざるを得ない状況にやきもきしている情報システム部」の苦労を想像して、両手を合掌スタイルにシフトしてください。

いやーしかしMSによるIEサポート終了の影響は大きかったですね。IEの残骸がようやく「公式には」退場したことにより、モダンブラウザを企業が使えるようになり、それがCANVASに代表されるHTML5でのコンテンツ表現ができる状況を生み出してくれました。

Flashは偉大でしたよAdobeさん。

HTML5が使えるようになってきたとはいえ、表現力やインタラクションにおいてはやっぱりまだまだFlashに一日の長があると思われます。FlashコンテンツをHTML5だけで再現するのは至難の技です。HTML5での表現に動画を上手く組み込むことで、情報伝達量だけは近づけられるかもしれませんが、インタラクションと音声同期(スライド進行とあわせて話す等)は、HTML5だとまだまだ力不足です。

eラーニングにおける表現力・機能性は Flash≧HTML5+動画 という公式かなと。

クラウドってすごいねw

それと、今年はクラウド()の機能追加も「マジ!?」というものがワンサとありましたね。その中でもeラーニング業界的に注目しておきたいのは

  1. 音声認識
  2. 自然言語解析

の2つです。

azureは”動画に入っている音声をテロップにするAPI”があるみたいだし(現在は英語版のみ)、つい先日話題になったGoogle翻訳APIは、多言語対応の要望を受け止めきれていなかったベンダーにとっては「WAO!」な状況なのではないかと。

eラーニングベンダーがこういう基礎研究Likeな機能を一社単独で開発するのは限界があって、インフラとしてパプリッククラウドを活用してユーザーにプラスαの機能を提供「できる環境が整った」この数年は、エンドユーザにとってありがたい話なのではないかと。

一方で、ちょっと話がそれますが、IBMのWATSONに代表される汎用AIプラットフォームは、たとえばWATSON上で特化型AI開発提供を周辺ベンダーが自由にやれる一方、「IBMがそのノウハウを吸い上げてしまったらおしマイケル」だったりするので、パブリッククラウドを活用して開発されたプラットフォームにどこまで乗っかるかは、エンドユーザとしてもeラーニングシステムベンダーとしても、なかなかにしびれる経営判断だと思います。

にしても、そうした不安を補って余りあるくらいに、eラーニング業界的にazureは意外とアリなんじゃない?と思わせられた2016年でした。

2.動画のおはなし

みんな安易に「動画」にいき過ぎ。

MOOCsが話題になったころから「動画での教材制作」はかなり一般的になった感があるけれど、その認知と反比例するかたちで「作り込む”情熱”」が、業界全体的に減った感がありますね。

それはおそらく「デバイスの進化」による影響も大きくて、iPhoneで全然クオリティの高い映像は取れるようになった、けれど、その手軽さにたいして注目が集まってしまう結果、ハイクオリティな映像をつかって「どういう構成にすれば、どういう表現であれば、学習効果は高まるんだろうか?」という議論に意識が向かなくなったんじゃないかなと思います。「動画教育が流行ってるらしいので動画にしよう」「分かりました、じゃあ今やってる授業を動画にすれば良いんですね」「(他のアプローチを知らないので)そうなんだろうな、そうだろう、そうしよう」的な。

「授業をそのまま撮影してアーカイブして学内LMSで見られます!」とか言ってるベンダーさん多いけれど、みなさんそんな動画観ます?学生はもとより社会人もほとんど見ないでしょう。まずそんな時間ないし、言ってはなんですが、丹精込めず「とりあえず」つくった感が否めないコンテンツで真剣に学びを得られる人物は、「もともと自らで学ぶことができる人物」だけだと思います。

「リアル講義を動画化してオンラインで学べるようにしました!イノベーション!」とかいってるベンダーやサービサーがいたら、じゃあそのコンテンツで自ら学習して学びを得られてるのか、社内教育状況をお伺いしたいです。

こんなこと書くと「みんな大好きTEDはどうなんだ?」とか聞こえてきそうですが、TEDに登壇する方々ってあの10分20分のためにアホほどプレゼン練習しまくって内容練り込みまくった集大成だから、そりゃ面白いですし、結果として時間が長くても注目を集め続けられるわけです。TEDを普通の研修風景動画と同じレベルで語るのはナンセンスですよ。

※もしかすると、動画を撮って教育コンテンツ化することの一番の受益者は「講師」なのかもしれませんよね。リアル講義をそのままオンライン動画するよと言われると「まーそのー」「えー」といった無駄なしゃべりは必然的に少なくする努力をふつう行うでしょうし、普段の振る舞いがそのまま映像化されるわけですからちょっとは立ち振舞を意識するようになるでしょう。

eラーニングはもともと「教室の講義をただただアーカイブすることから如何にして脱するか」を考え続けてきた、言い換えると「教室/部屋での教育をいかに超えるか」を真剣に考えて続けてきた業界のはずなのに、「動画で流せば教育だ」という風潮になっているような印象がそこかしこの老舗ベンダーから見受けられます。

あらためて”ID”は大事。

じゃあ動画教育が駄目なのか?というと、全然そんなことないです。ただただ、今の教育動画制作のアプローチが安直すぎるだけで、全然あり。

ではいまの動画教育コンテンツにおいて決定的に足りないものはなにかというと、それはIDです。docomoのクレカじゃないです。ID!eラン業界のみんななら当然知ってますよね!

ねんのためIDをご存知ない方のために補足説明しますと、IDはインストラクショナル・デザインの略で、「教育・研修の効果・効率・魅力を高めるための手法を集大成したモデルや 研究分野、またはそれらを応用して学習支援環境を実現するプロセスのことを指す(鈴木克明先生、2005)」…というのが定義の一つですが、平たく言うと「教育効果を高める手法をまとめたもの」です。

教育設計にフォーカスして掘り下げると

  • 学びの目的は、方法はなにかを、
  • 学びの「入口」「経路」「出口」を先に考えて、
  • 学習者のレベル感や学習環境を考慮したうえで教育教材を設計する作戦集、フレームワーク

…であるとも言えます。

ただただ自分が知っていることをつらつらと説明するのが良い教育コンテンツ、なんてことはやっぱり「ない」ですし、他人に知識や思考を習得してもらう方法論を専門的に学んだことがない人が、教育効果が高いコンテンツを作れるかというと、かなり難しいと思います。

なので、eラーニングの世界では古くからIDの重要性が喧伝されており、今あらためて、その重要性が問われていると思います。

3.反転授業のおはなし

動画に触れたら必然的に「反転授業」についても触れないとですね。

理想的だけど、実際に運用してみると限界を感じる

ありとあらゆる教育に反転学習は応用できる!とか思ってる方が多いかもしれませんが、実際はそんなことほんっっっとに無理です。

eラーニングにおいては、

  • 知識(言語情報)
  • 考え方(知的技能)

はなんとか動画化して共有することはできたとしても、

  • 感じ方(態度)
  • 動(運動技能)

の本質的なところは動画のみでは到底伝達しきれず、行動変容を生み出すことは困難です。
※カッコ内はID用語で言い換えた学習課題(学習により身に着けるべき事)。

「じゃあそういった動画コンテンツで伝達しきれない内容こそ、リアルの現場でフォローすればいいじゃない」とふつうは思うのでしょうけれど、そもそも「何をディスカッションするか」という「ゴール設計」が難しく、そのゴールを目指すためのディスカッションを誘発する動画を作ろうとすると、サンデル教授の白熱教室ばりの専用コンテンツを作り込む必要があります。そんなハイクオリティな設計を教育現場の前線でがんばっている方に「予算ないけどよろしくね」というのは、まあ無茶振りでしかないです。

たしかに簡単にはなったけど、それでも敷居は高い動画制作

動画はたしかに手元のスマホで撮影することは充分可能ですが、小中高の先生や大学の教授は「映像やコンテンツ作成が好きです!」という方じゃないとそもそも動画撮影すらハードルが高いです。それは「収録スタジオ用意しました!」「編集とっても簡単です!」といった環境を用意すれば解消するたぐいのものではなく、
前述の通り「ID」に基づいた学習の設計(シナリオ作成や動画編集、実際の授業の進行シミュレーション)には、そうとう練り込んで設計する必要がありあます。

つまり、

  • これまでの授業の組み立てを根本から変える、準備のあり様の問題
  • リアル現場で起きるディスカッションを的確にゴールに導くファシリテーションスキルの課題

等々、深いところにissueがあるのです。それは例えば、ずっとナイフとフォークで食事してた外国の方に「お箸使って今すぐに。でもこれまで同様、野菜のひとかけらもお皿に残しちゃいけません」というようなもので、しんどいですわ。

反転授業は誰に刺さる?

これはナレコモのEdTechの回で佐藤先生も「伸びるけど環境がない子に機会を与えるのがEdTech」とおっしゃっていたように、反転授業は「向学心のある人にしか刺さらない授業スタイル」だと思います。

「反転授業ってたんに予習を動画でやるだけじゃないの?」という大いなる誤解があるように、事前学習する人の知識レベルは当然伸びるし、やらない人はそもそも教育動画なんて見ずにポケモンGO!なわけです。

でも、反転授業の世界としては「リアルの場で動画の補足はしないこと」というレギュレーションがあったりします、ですが、そんなこと遵守してたらあっという間に授業が立ちいかなくなるわけです。

動画はじつは情報量少ない?

ブラウザ上で1分間に読める文字数上限は平均で約500字だそうです。ソースは忘れました。話し言葉がちゃんと耳に入る量は1分間に約350文字だそうです。ソースはアナウンサーの教育。

では動画はというと、たしかに音声・映像・文字で情報を伝えることができます、動画じゃなきゃ伝わらないものもあります、イラストとかで補足すれば「百聞は一見にしかず」なこともあります、でも「自由度が低い」んですよね、動画って、学習者にとって。

本のように「自分にとって心地よいスピード」で見ることできないし、カセットテープのように「あ、ちょっと聴き逃した」と気軽に巻き戻すには操作が面倒だったり。なにより「一方的に情報がどんどん送り込まれてくる」わけです。その自由度の低さを考慮すると、「実際に学習者がえられる情報量」としては、実際は動画より本の方が多いんじゃないかな?とも思います。

ですが、だからといって「書籍やPodcastがいいよね」という話ではなく、学習者にとって学びやすい教材として動画が最高かどうか、という点において、疑問が生じているだけです。スタディサプリなんかは、プロの先生が綿密な準備と練習をした上で、動画用の話し方、板書の仕方で授業をしてるから分かりやすいものになってる。1番よろしくないのは、教室での授業を撮影してそのままオンデマンドで流すような教材。早送りできるとか簡単に巻き戻せるとか、動画プレイヤーの機能色々あったりするようだけれど教材として終わってる。

つまり、動画で簡単に教材「らしきもの」を作って配信できるようになったが故に手抜き教材が増えたと言いたいのであります。

何回も書きますが、60分の講義動画とかほんとに全部見られます?あたまにきちんと入ってきます?いやー辛いでしょう、実際。プログラミング教育の分野で有名なドットインストールは「動画視聴による教育効果は3分間が限界」という仮説をもって、ああいうサービス提供スタイルにしているんでしょうし、最近だと「1分」という方もいらっしゃったり。eラーニングとくに動画において、あらためてUXを考えることも、重要なのではないかと思うのです。

マイクロラーニング

とはいえ、ドットインストールのマイクロラーニング、必ずしも正義じゃないなーという気がしました。デメリットは、「映像の途切れで集中力も切れやすくなること」「集中力し始める(さあ、やるぞ)の段階で、映像が終わってしまうこと(もうおしまい?)」。適切な分量はよく検討するがあるなあと。

やはりマイクロラーニングに適した研修内容かどうか、という点を設計段階で考慮するのは必要ですね。「長大なカリキュラムに沿って勉強していくタイプのもの(主に学校教育や資格試験系)」と、「仕事中に分からないことが出てきときに確認するもの」があるとすると、マイクロに向くのは後者かなと。前者の場合は、学習の意味の切れ目で分けていかないと、集中力のみならず理解力も下がるだけなんじゃないかと思います。目標に向かって一歩一歩学習するタイプより、足りない知識を補充する学習なら、ピンポイント学習としてマイクロラーニングは良いのかも。

ライブ授業はどうなの?

ライブ授業は、同時性というかなんというか、「みんなで学ぶことをワクワクさせる」演出が上手いサービスが残っているんでしょうね。例えばこの分野で名を馳せているスクーさんは、ライブ動画それ自体よりも、

  • チャットが書き込めること
  • チャットに書き込んだら講師がそれを拾うこと

が「リアル勉強会に参加している感」の演出に一役買っていて、学習者さんはそれで喜んでいるんでしょうし、そもそもサービスのターゲット設定がとても上手(Web上のインタラクションに抵抗がないユーザー層に刺さりやすい学習テーマ設計)だなという印象です。

とはいえライブの場合は、教材の質よりも、教師との双方向のやりとりとか、一緒に受講してる人の雰囲気とか、そういう動画周辺要素が教育体験に良い作用をもたらしている可能性が高く(どっかにそういう研究論文はありそうですが)、それ故に教材の質は二の次になりがちだと思います。

スクー、知り合いが何人か講師側で登壇してますし、実際に良いサービスだなあと思いますが、アーカイブ課金ユーザ数は実際のところどれくらいなんでしょうね?ニコニコの弾幕みたいに「あとから参加しても置いてきぼりにされない」ような演出はなされているんでしょうか。それないと「一定の学びたい層」を集めた以降の売上拡大はどんな数字なんだろうかなあ勝手に邪推してしまう次第。

4.無料モデルの話

教育は無料であるべき!って、なんで?

TechCrunchは海外の教育サービス事例を丁寧に追いかけている印象です。つい最近もこんな記事upしてましたね。「エドテックスタートアップが低所得層をターゲットにしなければいけない理由」

なるほど、この課題を解決することの社会的意義は大きいですし、USであれば成立するモデルですよね。でも、同じスキームは日本では通用しないと常々思います。

理由はいくつか考えられますが、

  1. 文科省による教育の安価な提供
  2. 「ノブレス・オブリージュ」の不在

の2つに尽きるのではないかと。

1.文科省による教育の安価な提供

学習内容について定期的にマイナーアップデートはされている(例:鎌倉幕府は1185作ろうになっていたり)ものの、学習指導要領で「学ぶべき内容」は原則定められており、コンテンツに大きく差異が生じづらい環境が日本にはあります。

これは医療の皆保険制度と同様に世界に誇るべき教育システムだと思いますが、それによって「教育はなんとなくお上がタダでくれるもの」という心象風景が、親世代に植え付けられているのではないかなー、と。つまり、(本当は税金を通じて出費があるのだけれど)教育をタダ「みたいな値段」で受けてきた世代としては、たとえばスタディサプリに月額980円を支払うのすらためらうわけです。ゲームには課金するのにね。(スマホで課金するしないは別の因子があることはさておき)

2.ノブレス・オブリージュの不在

これは印象論なだけかもしれないのですが、日本の教育系スタートアップやNPOが篤志家や資産家からの寄付で潤沢な資金をGETした、という話は、ついぞ耳にしたことはありません。文化として日本人は寄付をしない人種なのではないかと。(ちなみにナレッジコモンズ参加者さんはご存知可と思いますが、私は震災以降ずっとハタチ基金にDonationしてます!月1000円だけどね)

※某料理チェーンのラスボスは学校法人作っていたりしますが、耳にする話は宮下あきら先生がマンガにしそうな状況みたいですしね。自己承認欲求強っ!w

…ちょっと話がズレましたが、1と2とがかけ合わさると、

  • 無料で提供し始めた教育サービスは、ずーっと無料のままで儲からない
  • ビジネスとしてユーザーに対価を要求しても、B2Cスマホサービスに対価を支払う習慣が少ない
  • B2BにおいてはROIを追求するのは当然で、その結果として外部からサービス事業者に資金注入(寄付)が行われない(もしくはヒモ付きになる)

という状況が生み出されて、それにより、たとえば受験動画の無料配信で2012~3年頃にだいぶ脚光をあびた manavee もあえなく2017年3月末でサービス終了となってしまったのでは、と思います。

別に「富の再分配をしろ」だとか社会主義うんたらとかそういうことを言いたいのではまったくなく、無料だから質にこだわれない、有料だから良いコンテンツ作れ、ということでもなく、「日本の教育を取り巻く環境はマネタイズしづらい」、ただそれだけです。

EdTechサービス提供側と学習者のあいだにみえるパレートの法則

それでもEdTechブームに湧いた2013年以降は、教育を変えるという意気込みでたくさんの教育ベンチャーが生まれてきたと記憶してます。ファウンダーさんたちが語ることや未来は、まったくもってその通り、そうあるべきそうであってほしい、という未来そのものだったりします。

ただ、そうした方々をみていて思うのは、彼ら提供者さんたちは総じて「頭が良い」んですよね。だから社会的課題として教育問題は大きなもので、解決しなければならないことに気づけるわけですし。

でも、彼らが「変わって欲しい」と思っている対象者との間に、深い深いパレートの谷間があるんです。私がマネジメントの例えでよく使う表現として「相手を水辺につれていくことは私にもできるけれど、その水を飲むかどうかは相手次第」と思っているのですが、まさにそれが当てはまるかなと。

また、教育ベンチャーの方々で、先述のIDにかぎらず「教育の方法論」をきっちり学んで来た方がどれだけいるんでしょうか?あ、学ばないと教育サービス提供しては駄目と言っているわけではありません。そうではなくて、教育は国が義務教育として国民すべてに提供しているが故に、「国民全員が教育コメンテーター」になれるわけで、彼らの個人的経験「のみ」をベースとして課題を捉えていないかな、と、思うのです。

ここでちょっと話がそれますが、「ヤバイ経済学」という本はご存知でしょうか?要約すると「インセンティブで人も社会も動くということを大規模にリサーチした本」で、めちゃくちゃ面白いです。個人としての心理、集団としての心理、そういう部分にフォーカスして経済を観てみることで、社会のありようがどのように変わったか全く別の知見がえられる、そんなことが書かれている本です。

日本の教育スタートアップの方々も、ヤバイ経済学的な「インセンティブの設計」をかなり入念にした上でサービス開発をしていると思うのですが、残念ながらそれを取り上げて神輿にのせるメディア側が理解に追いついていないので、キャッチーにわかりやすい「無料で~」とか「東大の~」とかに価値をフォーカスして喧伝される結果、本来届いて欲しいターゲットには「なんだ、賢い人がやってるかしこなサービスかい」くらいになってしまい、結果として乖離が埋まらない。そんな状況が続いた結果かもなあ、と、今年のEdTechブーム下火化を見てて思います。

EdTechスタートアップな方には「夢想家」がいる?

ちょっと苦言的な話になるかもしれません。

EdTechはその大半が文教=学校教育系サービスですが、学校教育系の無料サービスは東日本大震災後にニーズが一見高まったように思います。震災後、日本の子供の貧困率が上がってきたことや、教育費の高騰などが重なり、「勉強したい、けれどそのお金がない」層に無料サービスを提供したい!という動機のサービサーも多かったですよね。manaveeはその代表だったと思います。

ただ、震災で一時的に学習困難に陥った子供たちがいつまでもその状況のままなのか?ということや、貧困層とされる家庭の親御さんたちが「子供にもっと教育をさせたい」とそもそも思っているのか?という点は、もっと熟考すべきことです。それは教育という観点だけで考えられる話ではないわけですから。

そのはずなのですが、「誰も貧困になんてなりたくなかったのに、教育を受けていないせいで貧困層になっている、だからそこから抜け出すために子供に教育を!と思っているに違いない!」と考えているサービス事業者ってじっさいいたりしません?

もしそういう事業者がいたとしたら、「無料」というだけで裏付けがあるようなないようなサービスをありがたがって利用するユーザがたくさんいるはずと思っているとしたら、それは利用者をずいぶん下に見ていると思います。「貧困から抜け出したい」と考える人こそ、子供にどんな教育を受けさせるかはものすごく気にして利用サービスを選ぶでしょうし、その場合大半の方は老舗系に行くと思うんですよね。

じゃあどうしたら良いのさ?

そんな声が聞こえてきそうなので、我々eラン畜が思う「無料モデルの教育サービスの方向性」をかいつまんでまとめますと、もっと行政と組む形でサービスを設計する方が日本では成功に近づけるのでは?と考えます。

つまり「教育サービスに見返り無しで寄付してくれる篤志家が稀有だ、それなら日本国から寄付をもらってしまえばいい」という考え方です。

実際にじゃあどうすれば行政と組めるのさ、等についてはすみません現状ノーアイデアです(苦笑)。一緒に考えたいです。

5.EdTechブーム下火化のおはなし

ネット上で話題にのぼってこなくなりましたねえ、EdTech。

「そもそもブームになってたの?」という指摘すらありましたが笑、まあ来てたということにしましょう。いつから来てたのか?については、500StartupsのDave McClureが「教育に投資するよ!」といい出した2012年くらいからということにしましょう。

その後SXSWでもフィーチャーされたり、Pitchイベントがあったり、VCが○○に□□円出資したりと、いろんな動きがありました。ですが、今年は減りましたねー(しみじみ)。渋谷の某B社laboも閉じられましたね、個人的にはアレが象徴的な出来事でした。

いやもちろんまだまだ動きはあると思います、けれど、世の中のトレンドとして○○Techは江戸を過ぎ去り、目処(Med=Medical)からも離れ、阿久里(Agri=農業)は私達からは見えず、「フィンテック!」「リーガルテック!」に見事に移った感があります。あとロボットとAI()とIoT()。

投資家の興味を集められなくなったということは、すなわち「ビジネスとしての教育はなかなか儲からない」ということに彼らが気づいた、ということだと思うのですが、eラーニング業界からすると「何をいまさら」です笑。

2012年に我らがヤノケンが調べたところによると、教育市場は2兆4千億あるそうですが、トヨタの営業利益に届かないくらい(2兆8500億 連結、2016年3月期、wikiより)なわけですよ。もっというと、企業向け研修サービス市場は4,500億くらい、eラーニング市場は1000億くらいと当時言われてました。

そうなんです、そもそもパイが小さいわけです。教育。

EdTechブームが過ぎ去って、いったい何が残った?

見渡してみると、残ったのは日本人が大好きな「英語教育市場」と、行政が市場を作ろうとしている「プログラミング教育市場」、あと忘れてはいけない「受験対策市場」。マネタイズの可能性がまだ秘められているはこのあたりじゃないでしょうか。

あと個人的に、eラーニングを全く別の視点から考えられたきっかけとして、マツリカさんの人工知能型営業支援プラットフォーム「Senses」は、特化型のひとつとして応援してます。現状がどうかは存じ上げないですが、アプローチが斬新でしたね。

EdTechブームがeラーニング業界に与えた影響は?

功罪悲喜こもごもですが、次の4点かなと。

  1. 教育コンテンツへの接触機会の増加
  2. 動画教材の制作機会増
  3. 研修の質の低下
  4. 「進捗」ステータスの意識の変化

紐解いてみます。

1)教育コンテンツへの接触機会の増加

これは単にWeb民にとって「EdTech系サービスがメディアに露出することで、目に触れる機会が増えた」という事実です。

よくみなさん「種をまく」という表現を使われますよね、「今すぐ使われなくても、必要な時に思い出してもらいたい」。そうやって種を撒かれたサービスは2010年のころと比べると格段に増えたと思います。

つまりそれだけ「がんばろっと!」と思う方にとって、教育コンテンツに接触できる可能性が高まったのは、意義ある事実だと思います。

2)動画コンテンツの制作機会増

これは「動画のおはなし」でもふれたのでざっくりまとめると、以前はFlashやMayaなどの高性能ツールを使わないとコンテンツが作れなかったけれど、最近はスマホさえあれば動画コンテンツ作って配信まで可能になっている、それだけ教育コンテンツ作成の障壁が下がったとも言えます。IDなき動画教材は学習者にとって拷問ですが。

3)研修の質の低下

先に申し上げておくと、これはEdTechプレイヤーが悪い話ではないです。そうではなくて、EdTechサービスをみた担当者が、そのサービスの本質を捉えずにただただ表現手法としてのみそのサービスを理解して「これっぽいの社内でやりたい」と、安易に着想してしまう傾向が増えた感じがとてもとてもしています。

それによって「これを学んでもらうことで学習者にこうなってもらいたい」「こういう成果を生み出せるように」という深い議論は以前より全然行われなくなりましたね。

EdTech系サービスで目にするコンテンツのクオリティがなまじ良いだけについ模倣したくなる、という気持ちもわかりますが、本質を捉えそこねると「仏造って魂入れず」なんですよね、なにごとも。

4)進捗ステータスの意識の変化

これはLMS関係者にしか伝わらない前提ですが、「途中進捗」についてユーザが細かく言わなくなってきた感じ、しませんか?

もちろんカタログスペック的に細かく途中進捗が取れることはLMSの機能として望ましいですが、「その情報を使って次のACTIONを起こす」ことよりも、「学習完了したあとの態度変容」にフォーカスする傾向が、分野特化型のeラーニングサービスでとくに顕著になった感じがしています。

例えば「コンプライアンスに関するeランをせめて半分以上の方は終わったか」ということよりも「受講完了した方につぎどういうことをさせたい」という、行動につながる話が増えた印象です。

総括:我らがB2Bのeラーニングは永久に不滅です!

バズワードてんこ盛りですが、「こんな風になったらまだまだイケるぜeラーニング!」を最後に考えてみました。

反転授業のところでも触れましたが、eラーニング業界は知識や経験の伝達、共有をこれまで意識していました。ですが、EdTechベンチャーがおそらく目指していた情意の伝達、共有による社会の底上げにまで一歩踏み込めれば、ビジネスとしてさらにおもしろくなるでしょうし、それには、「ID」にもとづいて「(使い古された感があって嫌な用語ですが)ゲーミフィケーション」的な発想に基づいたコンテンツ設計を容易に行うことができ、そのコンテンツを個別最適化する形で届けられる「アダプティブラーニング」が実際的に使えるレベルになれば、(AIによって仕事ガガガという話もあったりしますが)eラーニングの未来はわりとバラ色なんじゃないでしょうか。

「eラーニング」という言葉が枯れた表現になり、リノベーション的に「EdTech」という言葉を使っているだけの会社もいくつかあったりしますが、みなさんはそういうところに惑わされず、本質を見抜いて、ベンダーとうまく連携して、事業の成長にeラーニングを使い倒して貰えればと、切に願うばかりです。

余談

eラーニング仲間での打ち上げは四谷三丁目のふぐ料理屋「しほ瀬」と決まっているのです。ふぐは正義。

ここからMさんも合流して業界トークで盛り上がるわけです。なかみはちょっとここでかけないことばかりでしたが、一部をチラ見せすると、

  • K社、仁義に劣る契約不履行は完全にNGですYO!
  • 古参ベンダーさん、数字を対外的に盛りすぎですYO!

とかとか。これ以上はマジで書けん。。(これでもアウト?まあいいや)

最後に

我々「eラーニング畜の会(笑)」としては、教育ビジネスでがんばっている方々ととガッツリ話したいですね。休日の5時間6時間をこんな話題に終始費やして切磋琢磨できる仲間を募集中です。Facebookとかで私にコンタクトいただければいつでもお時間作らせていただきたく。

にしても楽しかった。来年どうなってるんだろうなあ。MさんのLMSが業界を席巻してそう。

ではでは。

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